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zoom RSS 長崎原爆の日

<<   作成日時 : 2014/08/09 22:05   >>

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台風の影響が気になっていたが、幸い日も射して無事に行えたことは幸いだった。我が家はヘルパーさんが来ていたので初めの頃は集中して見られなかったが、強く印象に残ったのは田上富久・長崎市長の平和宣言で、「集団的自衛権」の文言が盛り込まれたことと、被爆者代表として「平和への誓い」を読んだ城臺(じょうだい)美弥子さん(75)のスピーチ。

http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG0901F_Z00C14A8CC0000/
強風の中、祈り一心 長崎原爆の日「体力続く限り」
2014/8/9 12:36  日経新聞

 熱線と爆風で多くの命を奪った原爆投下から69年を迎えた9日、長崎は鎮魂の祈りに包まれた。台風接近で時折、強い風に見舞われた平和公園(長崎市)は平和への願いを込めた花束や折り鶴で埋まった。「被爆地から不戦の誓いを新たにする」。高齢化する被爆者や遺族からは核兵器廃絶と次世代への被爆体験の継承を願う声が相次いだ。

 「お天道様が被爆地を気遣ってくれたのよ」。爆心地から約1.4キロの地点で被爆した長崎市の主婦、岩本千枝子さん(75)は午前8時半すぎ、平和公園を訪れ、青空がのぞく曇天の空を見上げて、ほほ笑んだ。

 台風11号が九州に接近し荒天が懸念されたが、この日の長崎市の天気は曇り。強風への注意から平和公園で行われる平和祈念式典会場の約40メートル四方の大型テントは撤去された。岩本さんは平和祈念像の前で黙とうし、強い風にさらされても身動き一つすることなく長い祈りをささげた。

 岩本さんの目には、69年前のあの日の惨劇が焼き付いている。亡くなった乳児を胸に抱いてぼうぜんと座り込む半身やけどの女性、血だらけの少女は焼け野原をさまよい「お母さん、お母さん」とずっと叫んでいた。

 戦後、生き残った意味を自問自答してきた岩本さんは7年ほど前から、長崎原爆資料館で中学生の平和学習などを手助けするボランティアの活動を始めた。「平和を受け継ぐのが生き残った被爆者の責任。被爆地から不戦の声を強く上げたい」と語気を強めた。

 爆心地の近くで暮らす長崎市の中村幸恵さん(77)は午前8時すぎ、平和祈念像の前で合掌した。当時小学2年だった中村さんは爆心地から約2キロの公民館で被爆。その3日後、知人を捜すために一日中歩いた浦上地区は焦土と化していた。遺体が焼けるにおいが鼻をつき、道ばたで女性が子供をかばうように抱いて死んでいた姿を目の当たりにしたことを今も鮮明に思い出す。

 中村さんは「この数年、被爆者の友人が次々と亡くなった。私は体力の続く限り被爆体験を語り継ぎ、命や平和の尊さを子供や孫の世代に伝えていく」と決意を語った。

 爆心地から約500メートルの浦上天主堂では、午前6時から被爆者や遺族ら約150人が追悼ミサに参加。被爆者の黒川ナミ子さん(81)は戦後、食堂で働きながら家計を支える一方、原爆症で長期の入院生活を送った夫の看護も続けてきた。「夫は25年ほど前になくなるまで長く苦しんだ。長崎を最後の被爆地に、と核兵器が世界からなくなるまで願い続けたい」と声を絞り出した。


http://mainichi.jp/select/news/20140809k0000e040199000c.html
長崎原爆の日:田上市長「戦争しないという誓い 揺らぐ」
毎日新聞 2014年08月09日 11時43分(最終更新 08月09日 16時43分)

 長崎は9日、69回目の「原爆の日」を迎えた。長崎市の平和公園で平和祈念式典が開かれ、田上富久・長崎市長は平和宣言で、安倍政権が7月に閣議決定した集団的自衛権の行使容認を巡る議論に言及し「『戦争をしない』という誓い、平和の原点が揺らぐことに対する不安と懸念の声に真摯(しんし)に向き合い、耳を傾けることを強く求める」と政府に呼び掛けた。一方、安倍晋三首相は「『核兵器のない世界』を実現するための取り組みを、さらに前に進める」と述べたが、2007年の第1次政権時に触れた「憲法の規定を順守」とする発言はなかった。

 台風11号の接近に伴い、3200人収容できる大型テントを前日に撤去するなどして迎えた。式典は午前10時35分に始まり、安倍首相ら約5900人が出席した。米国など核保有国を含め、過去最多となる海外50カ国の代表も参列し、原爆が投下された午前11時2分、全員で黙とうをささげた。

 平和宣言には、6日の広島市の平和宣言では言及されなかった「集団的自衛権」の文言が盛り込まれた。田上市長は「集団的自衛権の議論を機に、『平和国家』としての安全保障のあり方についてさまざまな意見が交わされている」とし、日本国憲法がうたう平和主義に触れ「『戦争をしない』という誓いは被爆国・日本の原点であり、被爆地・長崎の原点でもある」と述べた。

 そのうえで「被爆者たちが自らの体験を伝え続けた平和の原点が揺らいでいるのではないかという不安と懸念が、急ぐ議論のなかで生まれている」と、十分な議論を経ないままの憲法解釈変更への危機感をにじませ、国民の声に耳を傾けるよう政府に求めた。

 また、核兵器保有国と日本を含む「核の傘」の下にある国に対し、核兵器禁止を求める国々と協議の場を設けるよう呼び掛けた。日本政府には「核兵器の非人道性を一番理解している国として、先頭に立ってください」と訴えた。

 集団的自衛権の行使容認については、被爆者代表として「平和への誓い」を読んだ城臺(じょうだい)美弥子さん(75)も「日本国憲法を踏みにじる暴挙です」と厳しく批判した。

 安倍首相は「人類史上唯一の戦争被爆国として、核兵器の惨禍を体験した我が国には、確実に『核兵器のない世界』を実現していく責務がある。その非道を、後の世に、また世界に、伝え続ける務めがある」とあいさつした。集団的自衛権への言及はなく、原発問題にも触れなかった。

 式典では、この1年間で死亡が確認された被爆者3355人の氏名が書かれた原爆死没者名簿3冊が新たに奉安された。奉安された死没者の総数は16万5409人になった。【小畑英介】



http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140809-00000038-mai-soci
<長崎原爆の日>「誓い」の城臺さん「武力で平和守るの?」
毎日新聞 8月9日(土)12時18分配信

 ◇閣議決定した集団的自衛権行使容認、安倍首相姿勢を批判

 9日に69回目の「原爆の日」を迎えた被爆地・長崎。「日本の平和を武力で守ろうと言うのですか」。平和祈念式典で被爆者代表として「平和への誓い」を読み上げた長崎市三川町の城臺(じょうだい)美弥子さん(75)。7月に安倍晋三政権が閣議決定した集団的自衛権の行使容認を「日本国憲法を踏みにじる暴挙」と批判し「被爆者の苦しみを忘れ、なかったことにしないでください」と訴えた。

 城臺さんは6歳の時、長崎市立山町(爆心地から約2.4キロ)にある祖母の家で被爆した。隣家の友人から「みやちゃん、遊ぼう」と呼ばれた瞬間、空に閃光(せんこう)が走った。爆風で飛ばされ、床下から助け出されるまで気を失っていたという。

 小学校教諭を退職後、語り部の活動を続けてきた。城臺さんの目には、集団的自衛権行使容認や、武器輸出三原則の緩和を進めた安倍政権の動きは危うく映る。「戦争は戦争を呼ぶ。若者や子どもを脅かさないで」。城臺さんは、安倍首相らを前に言葉をつないだ。

 誓いでは、核兵器禁止条約の早期実現に向け、日本政府は世界のリーダーとなる義務があると主張した。そして「再び愚かな行為を繰り返さないために、被爆者の心に寄り添い、被爆の実相を語り継いでください」と呼びかけ、平和な世界への願いを語った。



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