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zoom RSS 平安なるゼロを知る“土下座”

<<   作成日時 : 2013/10/19 22:22   >>

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NHKクローズアップ現代「氾濫する“土下座”」」について
土下座を強要するということは、そこに負の感情がこめられているので、する側もされる側も決して穏やかではない。

対極にある土下座は人に強要されるのではなく自主的なもの。
とはいえ、意味も分からず簡単にできるものではないので修行として指導者の指示に従って行うのが通常?かもしれない。
当然、行だから初めからその意味を知ることはない。これこれこうだからこういう効用があるなどと知らされては欲が増すばかりで逆効果となる。

もう20数年前になるが、私もこの行を受ける機会を得た。仲間は10人くらいいただろうか。社会的地位などというものも一切関係ない。
勿論、意味など分からない。人々が行き交う道端や公園の片隅でひとり静かに土下座をする。人に話しかけられようが、何されようが、ただただひたすら土下座をする。
行のルールはただひとつ。「自分を出さないこと」
初めは、なにか周囲に対し恥ずかしいような気になったり、どういう意味があるのだろうか等と内心ではいろいろな思いが浮かんでは消え浮かんでは消え集中できない。

その内、親不孝の数々に対しての反省、両親に対しての感謝の思い、涙することもあったり、その内何もない世界へと誘われていく。
雑踏の中に居ることさえ意識にはなく全くの別世界で、心は鎮まり静かに静かに至福を感じる。まさに平安の中・・・
この行を無事終了した仲間たちはみな、顔の表情も変わり、清々しく喜びが滲み出ていた。

この体験は、私の後の人生に大きく影響を与えている。


それから、数年前にご縁があった地球愛祭りでは、「地球に感謝!ありがとう♪」をかけ合いで繰り返し、喜びと感謝を表現する。これを動とするなら、土下座の行は土(地球)にひれ伏し生かされている喜びと感謝を表すという意味において静のあり方と言えるかもしれない。祭りは「動」、行は「静」ということか。

どちらにしても、体験しなければその意味を知ることはできないし、また、意味を知ることはさほど重要なことではないと思える。知ることの前に感じることが入口の第一歩と言えるかもしれない。

土下座をするなら、ひとに憎しみや怒りをぶつけたり、強要するのではなく、己が自ら首を垂れるものの方が気持が良いのはいうまでもない。
何かに行き詰った時、わざわざ雑踏の中でしなくても(今の世の中では危険かも)、部屋の中でひとり静かにしてみてもよいと思う。

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