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<<   作成日時 : 2005/05/12 00:27   >>

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画期的な出来事」について
こんばんは。
びーらぶさんの感度の良さに、いつも感歎の声を上げています。打てば響くの心地よさがあります。
いつもありがとうございます。お陰で私もいろいろなことを確認させていただいています。*^-^*

>言葉の通じない、別の世界に住んでいる人のように感じたことがありました。

これは、私も過去に随分と体験しました。何というかお互いに見ている世界が違うため、価値観も人生観も全てにおいて噛み合わない歯がゆさみたいなものを感じていたのですね。親兄弟ともなれば尚更でした。そういう時は、常に自分を上において見ていたと思います。理解されないことによる疎外感もありましたね。
ですので、益々相容れない関係になって、空回りでした。本当に人を思いやるゆとりというか、自分を省みる謙虚さがなかったように思います。つまり、自分より上と思える人からは、教えていただくという謙虚さ、素直さはあってもということです。*^-^*
自分と同じ視点、価値観を持っている人とは、理解し合えるわけですから、何も問題がなく心地よいわけですね。
ところが、自分の価値観や見ている世界を理解しない人に対しては、やはり同等ではないのです。それは、相手ではなく自分に問題があるんですね。その頃はまだ若かったので、テーマとしてあったと思いますが、振り返ってみると苦笑するばかりです。*^-^*

>今までは、母の問題について母と話し合うとき、私の中の、「怒り、恨み、非難、批判、裁く、罰する、罪悪感、恐れ、不安」など、様々なものが、きっと母に伝わっていたのだと思います。

はい、とてもよく分かります。
けれど、びーらぶさんは、ご自身の中にある認めたくない感情についてしっかり観て、それらがまだ存在しているということを受け容れたのですね。だからこそ、そこから抜け出られたのですね。
誰だって自分の欠点とも言える感情について認めたくはないわけです。心情的には。*^-^*
自分のことはひいき目に見て、よく思いたいのも人情です。 けれど、本当は自分が一番見たくない、認めたくない部分にこそ光を当てるべきなのです。空っぽにするためには。それには本当にどなたであっても、勇気が要るようですね。あなたは幸いにしてそれがお出来になられたのですから、「おめでとう」です。*^-^*

>けれど、今は、どうすれば母が回復するか、どうすれば母の心は安らかになるのか、ということの方が、大きい気がします。同じようなことを言ったつもりでも、伝わるものは、おそらく全く違ったのだと思います。

相手の立場から見ることができたのですね。とっても素晴らしいことです。
人は信頼するからこそ、相手も心を開いて、心を許し、お互いに理解し合えるようになるんですね。
否定的に見るのと、肯定的に受容して見るのとでは、全く見える世界が違いますね。
そして、受容した時、お互いに一番「心地よい」ということを実感するはずです。何故なら手放した状態だからです。そのことをびーらぶさんは体験されたのですね。*^-^*

>そこで、思うのですが、もし、「気」であれ、「お金」であれ、大切なもののはずなのに、私も母も借りることが出来たのでしょうか。それは、私も母も、「返す」人だったからだと思います。

*^-^*
そうですね。必ず返してくれる人という信用の元に貸す人がいたのでしょうね。
それと、もうひとつ。視点を変えれば、貸す人、借りる人のご縁というのは、貸すということを通して学ぶテーマがある人と、借りるということを通して学ぶテーマを持っている人が、お互いの相手役として出会っているとも言えると思います。
貸す人は、貸すときの心構えや、貸していい人といけない人のあることを、
借りる側も同じように、借りる時の心構えや、借りてはいけない人、事、状況等々、
ざっと見ても、そういう学びがお互いにあるんですね。時に借りる役、時に貸す役をやって、貸し借りを通して、心・執着・感情について学びます。
だから、一概に善悪で捉えることはできませんね。宿題ですから。*^-^*
また、出会いは過去の清算のためと言うこともあると思います。

このように、お金の貸し借りばかりではなく、家族や友人、社会における人間関係や、日々の出来事全てにおいて、何らかのテーマを見ることができると思います。
その時々の出来事や、ご縁は、テーマ(宿題)をクリアするための課題や相手役であり、何故その出来事に出合うのか、何故その人でなければいけないのかということにも、静かに目をやれば、その背後にあるものが見えてくるものです。
相手ではなく、本当に自分のテーマとしてあることに気づきます。
だからこそ、信頼と受容、内観して受容することができ、超えることができていくのですね。
本当に、何事にも無駄ということがありませんね。*^-^*

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びーらぶ日記@WebryBlog
2005/05/12 12:40

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