心のまま大らかに

アクセスカウンタ

zoom RSS 忙殺って何が亡くなること?

<<   作成日時 : 2008/09/18 15:04   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

画像
言葉遊びが好きで、いつの間にか自然に身について、日々楽しんでいる私。

言霊という言葉があるように、生活に密着して、たくさんの気づきを与えていただき、私は遊ぶというよりも遊んでもらっているのかもしれないなと、ふふっと笑ってしまう。

言の葉。葉が風に吹かれそよそよと揺らぎ、はらはら、ひらひら、と舞い散るように、きっとその時々に最もふさわしい形で、メッセージを届けてくれているのだと思う。

先日も、忙しいということについて、
今までの解釈としては、文字が示すとおり、忙しくなると、心にゆとりがなくなり、イライラしたり、焦ったり、振り回されたり、あるいは人を振り回したり、落ち着きがなく、自分を失った状態を示していて、なるほどなあと感心したものだが、

ふと、最近の忙しさの中で気づいたことは、それとは全く反対のことであった。
それは、ひとつの目的に向かって、あれもこれもとたくさん仕事が増えても、着々と優先順位をつけながらやるべきことをやって、途中メールや電話などの飛び入りで、時間が細切れになっても、イライラもなければ、焦りもなく、振り回されることなく、気持ちにもゆとりがあって、ワクワクとして楽しんでいる自分を感じていることだ。

文字通り、何かに専念するということは、エゴという自分は忙殺されて、いなくなることなのだと妙に納得したのである。
仕事をしながらも、鏡に映る自分の姿はよく見えているし、空っぽであるのかないのか、中心に居るのか居ないのかもよく見える。心にしっかり遊ぶゆとりもある。そして、何よりも熱く燃えるものの中にも静寂がある事を感じる。
中心はおそらく高速回転をしていて、或いはマグマのようにフツフツと燃え、いのちは熱くハイスピードで活性化しているのだと思うが、台風の目のように、コマの軸のように、何にも振り回されずに何事も無いかのように静かなのと似ている。

忙殺も、前述のように、本来の自分(大我)を亡くすか、自分(小我」が亡くなるのかで、全く答えは違ってしまう。

だから、忙しいということは決して否定的に捉えるものではなく、楽しんでしまえは、愚痴も不足も何もなく、自分(エゴ)が出る隙間もないほどに満たされていることであって、むしろ歓迎すべきもの、在り難い状態なのだと思う。
そして、そういう忙しさを愉しむ仲間が増えてきていることも、肌で感じることができて、喜びのひとつになっている昨今である。何という幸せか。


日々の生活とは、
神様から肉体をお借りし、生かしていただいていることに気づくことと
自分のお役目に自分を活かして働かせていただくこと

生かされ、活かしていただくこと。それが人が生きる、人生の目的なのでしょうね。*^-^*

神様ハローワークは、賃金を稼ぐことはできないけれど、お金の要らぬ、お金の無い世界を建設するための仕事がいっぱい用意されている。

神様ハローワークに感謝です♪\(^o^)/
すべてに、ありがとうございます。<(_ _)>

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
URL(任意)
本 文
忙殺って何が亡くなること? 心のまま大らかに/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる