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zoom RSS 因縁因果も受け取り方次第

<<   作成日時 : 2014/07/15 22:20   >>

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心地よく生きる」について
お友達からいただいたはがきに、「因縁解消のために病を得る。そして、それを通して学ばせていただく。そのために他が満たされている・・・」とある方からアドバイスを受けたと書かれていた。
うーん、因縁解消ねえ…と思わず溜息をついた。…

健康な人が長年病に苦しんでいる人を観て、「それは因縁、因果ですよ」というのはた易い。それは間違いではないかもしれないが、そう単純に言い切れるものなのだろうか?と首を傾げたくなる。勿論、間違いだとは言わない。全ては原因あっての結果であるのだから。だから、どうせ言うのならその原因を分かるように話してくれなければ言われた方としては分かったような分からないような・・・やはり、腑に落ちないので負のエネルギーとして残ってしまう。

それに因縁と表現する時は善因縁ではなく、悪因縁を指すということ。それは何も病に限らず、事故や災害、貧乏、人間関係、仕事、結婚等々、凡そ人生における不運といえるようなものを指す。
幸せな人生を生きている人は、よい因縁、因果だから殊更因縁とは言わないのだと聞いたことがある。

けれど、結果として現象が現れるには当然時差があるわけで、今何も問題がなくて幸せな人生を歩んでいる人だって、いつ何時病気になるかもしれないし、災害に遭うかもしれないし、リストラされるかもしれない。定年と同時に熟年離婚とか、・・・挙げたらきりがないではないか。

で、私は子どもの頃からそういう言葉に、心を痛めていた。
既に亡くなっている姉だが、難病に苦しんでいたことから因縁が悪いとか先祖が浮かばれていないからとよく言われていたからだ。そして、健康に自信のあった私も、スポーツで無理をしたのがきっかけとなって関節に水が貯まるようになり、冷房病などもあってどんどん体調を崩していった。
そういうこともあって、家を何とかしたい、因縁を切りたいと心底思って、あることがきっかけとなって密教の世界に入り修行を始めた。既に幸せな結婚生活をしていて個人的には何の問題もなかったのにだ。仏縁を得たのも私にとっては何かの因果である。機が熟しての出合いであり、決して魔が差したわけではない。*^-^*

初めの頃、ご本尊様の前で手を合わせると訳もなく涙があふれてしかたなかった。隣りで手を合わせて敬虔な祈りを捧げ涙している人を観ても、私には、仏さまの慈悲にすがって助けて下さいとは言えないと思った。どれほど業が深いのかと思わなくもなかったが、とにかく「このどうしようもない私ですが、真剣に行をしますので、どうぞ見捨てずお導きください」とひたすら誓い礼をするのが精一杯だった。そうやって、心洗われる体験をし、行に励んだのだが、やればやるほど、体は悪くなり・・・とうとう歩けなくなってしまった。

まあね、人が経験しないことを数え切れないほど体験させていただき、ずっと人の心(自分の心も含め)を観てきたおかげで「解放」されたということがあるので、苦しみを乗り越えて来られたことには感謝感謝だ。
自分が歩んできた人生に一切否定するものはない。宗教からも組織的な活動からも卒業することができたことは幸いであった。みんな恩人である。

その体験を活かせというならば、
もうね、因縁因果、業の報いなどと人を傷つけるようなこと、貶めるようなことはよそうよね。といいたい。
どんな原因を作ったかは知らないが、人それぞれに自分が課題としてきたものをクリアするために今生での境遇・境涯(境界)を選んでいることからして、そこに善悪はないということを肝に銘じたいものだ。

決して善悪の識別・判断する必要はない。
結局、この地球世界は人々の想念が生み出しているものなので、どのようにも変えられる。
この「変えられる」というのも、先ずは自分が初めの一歩であるのは言うまでもない。
他人を変えようとしたって、世の中、社会、世界をと思っても、自分が変わらなければ変えられない。
自分が変わってこそ、見える世界が変わる。何も変わっていなさそうでも接する世界が変わる。
これが真実と(体験上)思う。

心を伸び伸びと緩やかに遊ばせよう♪
心を縛る言葉からさようならをしよう。*^-^*
大丈夫、大丈夫。

善悪はないのだから、「因縁解消のために・・・」とアドバイスしてくれた方にも感謝。気づきのきっかけにすれば、全てが生きてくる。*^-^*

ありがとう。ありがとう。ありがとう。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
外見や病や家庭環境など自分で選んできたらしいが、今の自分にはわからないし変えられない。
わからないこと、変えられないことへの指摘は「原罪」意識に似ていると思う。

善悪を判断する=無意識に自他を裁く。
そして比べる。
自然に習慣になってしまっていること。

善悪の判断の必要のないことを意識していたいです。
いつもありがとうございます。

飯倉片町 梅子
2014/07/16 07:43
飯倉片町 梅子さん
こんばんは。
コメントありがとうございます。
本当にね、よくよく考えるとその人にとって必要なことしか起きていないということが分かりますよね。
全ての出来事は過程だと分かれば、どんなことでも善悪で判断することはできないですね。

>善悪を判断する=無意識に自他を裁く。
>そして比べる。
> 自然に習慣になってしまっていること。

本当にその通りと思います。分かっているはずなのに…習慣ってこわいですね。
私もこうして書いた以上は、もっともっと心しなければと思っています。*^-^*

いつもありがとうございます。

氣楽
2014/07/16 20:13

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