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zoom RSS NHKクローズアップ現代「氾濫する“土下座”」

<<   作成日時 : 2013/10/10 19:53   >>

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テレビ番組予告を観るだけでちょっと引いてしまうドラマ。どんなに高視聴率だと聞いても観る気がしなかった『半沢直樹』。土下座を強要する社会。いやな世の中になっていくなあ・・・というのが正直な気持ちだった。

で、NHKクローズアップ現代「氾濫する“土下座”」を再放送と2回観た。共感部分も多く実にタイムリーだと思った。

氾濫する“土下座”

空前の高視聴率を記録したドラマ『半沢直樹』。注目を集めたのは、“土下座”シーンだ。宮藤官九郎さんが脚本を書いた映画『謝罪の王様』でも頻繁に出てくるのが“土下座”。 いったいなぜ私たちは“土下座”が気になってしまうのか。専門家は、2000年以降、謝罪会見などで経営者の土下座が見られるようになったのは、日本人が心のゆとりを失って不寛容になり、相手を土下座させるまで追い込む風潮が広がっているからだと分析する。“土下座”が氾濫する中で、見え隠れする社会の変化を探る。

出演者: 森 達也 さん (映画監督・明治大学特任 教授) 、 山本 博文 さん (東京大学史料編纂所 教授


放送した内容すべてテキスト化したのはこちら
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail02_3413_all.html

私の子どもの頃は土下座という言葉は使わなかったが、悪いことをして叱られた時に、反省し本当に悪かったと思った時には、正座をして両手をついて謝った。それがしつけでもあった。形だけのものは赦されなかった。

また、お返し、倍返しは、仕返しではなく、贈り物など受け取ったものに対して倍額に相当するものを返すことであった。分かり易くいえば、御祝儀は倍返しであり、不祝儀は半返しという目安があった。
決してあのドラマのように感情をむき出しにして相手を屈服させたり、やられたらやり返すの世界ではない。

そして番組にもあるように、

氾濫する“土下座” 日本社会に何が?
ゲスト森達也さん(映画監督・明治大学特任教授)
ゲスト山本博文さん(東京大学史料編纂所教授)

●森さんが見る“土下座社会”
森さん:まず、謝罪じゃないですよね。
少なくとも、もしかしたら、中には謝っても謝りきれないという方もいるかもしれないけど、基本的には、ほとんどの人が土下座をしながらも、本気で謝罪はしてないでしょうし、また僕らも、それをなんとなく感じてるからこそ、見てて、あまりいい感じがしない。
つまり屈服ですよね、謝罪ではなくて。
全面的な屈服、降伏、そういったものを強要する。
なんか、そういったような社会風土、世相が強くなってきてる、そこまでは間違いないと思います。
(土下座が広がっている理由は?)
こう言えば、恐らく次に来るのは、なんか留飲を下げたい、うっぷんを晴らしたい、そういった欲求が強くなっているということがくるでしょうね。
その次にくるのは、今度はなぜそうなっているのか、閉塞感であるとか、格差の問題とか、そういうことを口にする人、たくさんいると思うんですけれど、閉塞感であったり、格差であったり、不況であったり、そういった要素は、これまでもずいぶんありました。
なぜ今、やっぱりこの十数年、強くなってきてるかということを考えなきゃいけないし、僕はヒントをやっぱり、今も96年、ミドリ十字ですよね、薬害エイズ。
公式にメディアの前で、あれだけの大規模な土下座っていうのは、恐らく初めてだと思うんですけど、あれは96年、つまりその前年ですよね、95年、何があったか。
まずは阪神・淡路大震災があって、その2か月後にオウム真理教の事件が起きて、どちらも当時としては、もうかつてないほどの天災であり、人災であり、次にはWindows95なんですよね。
つまり、インターネットが初めて身近になった、これが3つ重なったんですよね。
これによって、社会全体が大きな変革をした。
特に、日本人の意識が変わった、それは間違いないです。
ことばにしちゃうと、僕は集団化だと思います。
つまり盛んに今、右傾化、保守化ということばを口にする人多いけど、僕はそうじゃないと思うんです。
疑似右傾化、疑似保守化、実質は集団化、不安と恐怖が強くなったからこそ、みんなでまとまりたい、1つになりたい、そういった過程の中で、異物を探したい、異端を探したい、それをみんなで排斥したい、そういった気持ちがとても強くなってきてる。
それが今ね、こうした現象になって表れてるんじゃないかなという気がします。
(例えば、何の集団から、ちょっとはみ出たような人に対しては、みんなで攻撃をすると?)
容赦なく攻撃を加える、排斥したくなる。
さらに言えば、はみ出る人がいなければ、はみ出る人を作ってしまう。
だから、学校のいじめと一緒なんですよ。
つまり、それを排斥する過程の中で、自分たちは多数派としての実感を持てるわけです、安心できるわけです。
同時に、異物に回りたくないと。
だから、みんなと同じ行動をしたい、つまり同調圧力ですよね。
それがどんどん強くなってしまう、そういった社会に、今が、どんどん加速してるんじゃないかなという気はします。

●江戸時代の歴史の視点から見た、今の世相は
山本さん:そもそも土下座っていうのは、被支配身分である農民とか町人が、参勤交代に対して、地面に座っておじぎをするのが土下座なわけですよね。
これは、被支配者に対する儀礼なんです。
今は誰も平等な時代なのに、その身分が違うものに対して行う土下座を強要するっていうのは、かなり厳しいことなんですね。
というのは、やはり同じ身分の者に対して、相手に全面的に屈服するという、そういうことを示さなきゃいけないわけなんで。
日本人はザビエルが来たときから、支配人まで含めて、非常に名誉心が強い人たちだというふうに言われているんですね。
だから日本人は非常に名誉心が強い、その名誉心が強い人を、全面的に屈服させる形にするっていうことが、今の土下座の本質なわけですから、これはかなりなんて言いますかね、社会的には、相手に対する制裁のようなものがあるんですね。
本来、日本人っていうのは、自分が悪いと思ったら、自分で責任を取ってたわけですね。
これは、特に武士に特徴的なんですけど、切腹っていうのをやるわけです。
切腹は相手に強要される場合もあるんですが、本来、自分が責任を取る、自分が悪かった、あるいは自分が正しいんだけれども、結果的にこうなったことに対して、死んでおわびをするとかですね、そういうものが切腹なんですね。
土下座っていうのも、本来は切腹と同じような形で、本当に自分が悪かったっていうのを、そういう姿勢を示すことによって、相手に示そうとしたものだと思うんですね。
それが切腹もそうなんですけど、だんだん相手に強要されて腹を切らざるをえない、あるいは自分は腹を切らないって言ってるのに、周りの人間がよってたかって腹を切らしてしまう。
それと同じように、土下座も本来は最初、自分の心底からのおわびだったはずなのが、周囲から強要されて土下座せざるをえなくなると。
そういうことに変化していると思うんですよね。
だからこそ、やっぱり嫌な思いをするとか、本当に謝ってんじゃないんじゃないかとか、そういうようなことを感じるようになると思うんですね。
だから土下座なんかしても、いいことは1つもないんですね。
1つは、相手に対して本来、心からのおわびをしようとしているのに、そうではなくて、わざとやってるように思われてしまうとかですね。
だんだん、そういう謝罪がインフレ化しているんだと思うんですね。

森さん:謝罪よりも、恐らく懲罰化しているんでしょうね。
これも、やっぱりリンクするんですよ。
95年以降、何が進んだかっていうと、厳罰化なんですよ。
刑事法も、ずいぶん増えていますよね。
だから、たぶん昔であれば、例えばね、懲役10年で済んでたところが、今はもう10年じゃ、なまぬるいと。
もっともっと激しい罰を与えたい。
これは、やっぱり異物を排斥したいという気持ちの表れだと思うんですけど、そういった厳罰化の流れの中で、いわゆる刑事法的な刑罰ではないけれど、自分たちができるような罰を与えたい。
つまり、鹿島さんもVTRの中でおっしゃっていた、まさしく公開処刑、それに近いニュアンスが出てきたという気はしますね。

●形だけの謝罪を求めるより、真の問解決につなげるためには?

森さん:やっぱり日本人って、そのへんがわりとこう、団体行動得意ですから、集団化しちゃうと、みんなでやっぱりね、一律になってしまう。
その傾向が強いんです。
これは人類全般あるけれど、特に強い。
であれば、意識的にね、みんなと違う行動をするとか、違うことをつぶやいてみるとか、それをするだけでも、だいぶ風通しは変わると思うんですよね。

山本さん:本来、武士の思想っていうのは、みんなで一緒にやるっていうんじゃなくて、自分の心を顧みて正しければ、みんなが反対しても、それを行うんだっていうのが、武士道の思想なんですね。
そういうものに対して、付和雷同してしまうような一方で、村社会がある。
そうではなくて、やっぱり自分の心を信じて、それで進んでいくっていうのが、これから必要なんじゃないかと思うんですね。
(それぞれの人が、周りがどう思っているかというところから一歩踏み出して、自分が正しいと思うことをすることが大切になってくると?)
森さん:和をもって貴しとなさない、という意識ですね。



番組では、96年のミドリ十字・薬害エイズを取り上げていたが、それ以上に思い出すのは、山一證券。

http://www.discovery-jp.com/sb/log/eid1752.html
「1997年11月24日」100年続いた名門「山一證券」は自主廃業を発表した。

その2時間にも及んだ記者会見の最後のセリフは余りにも有名。

突如立ち上って、涙を流しながら絶叫し、何度も頭を下げて次の様に訴えました。

「みんな私ら(経営陣)が悪いんであって、社員は悪くありませんから!どうか社員に応援をしてやってください。優秀な社員がたくさんいます、よろしくお願い申し上げます、私達が悪いんです。社員は悪くございません…!」


これは本当に衝撃的であった。

伝わる謝罪、現代のように形ばかりの謝罪会見。これにはマスコミにも責任の一端があるのではないだろうか。

世の中が感覚麻痺して善からぬ方向へ行きませぬように。(-人-)

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平安なるゼロを知る“土下座”
「NHKクローズアップ現代「氾濫する“土下座”」」について 土下座を強要するということは、そこに負の感情がこめられているので、する側もされる側も決して穏やかではない。 ...続きを見る
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2013/10/19 22:22

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