心のまま大らかに

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<<   作成日時 : 2005/02/14 00:53   >>

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何事も信じる人と信じない人がいるようだが、
もともと、よく考えて見れば、否、考えなくても身の回りを見回してみれば、
そこには暗黙の了解があることに気づく。
信頼関係で、この社会は成り立っている。

考えてみればよい。
食べ物。
   もし、毒が入っていたら・・・・と思ったら食べられますか?
衣類。
   もし、身体に害のある薬が染み込んでいたら、針が刺さっていたら・・・と思ったら着られます
   か?
乗り物。
   もし、爆弾が仕掛けられていたら、ドライバーが居眠りをするのではないか・・・と思ったら乗れ 
   ますか?

このように見てみれば、一つでも疑いがあったら、私たちは一歩も動けないし、物を食べることも何もできなくなってしまう。

60億という人間が生きていく上で、すべてを自給自足とはいかない。衣・食・住において、すべての社会構造、農業・漁業・林業・建設・流通・消費・廃棄・・・・等々すべてにおいて分業であり、そのお陰でもって、私たちは生かされている。
目の前に置かれた見える物・者。それが人であれ、食物であれ、衣服であれ、家であれ何でもだが、その背後には直接的に見えない物・者が存在している。

そのことに絶対の信頼があって、それがあまりにも当たり前になってしまったので、見えない物・者を感じなくなってしまった。見えなくなってしまったということか・・・

それに対し、目の前に見える人と人の関係においての信頼は一体どうだろうか?
「あいつは〜」「こいつは〜」と決め付けたり、人を疑って人間関係がギスギスしてはいないだろうか?
相手を信じられないということは、結果的には自分を信じていないことになる。
何故なら、「相手を信頼する」という自分を、自分自身が信頼できずに揺らいでいるだけなのだから。

揺らがない信頼は、「信頼しきる」ところから訪れる。それは決して揺らがないのである。
そこには「裏切り」などという言葉は、どこを探してもないのである。 

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コメント(5件)

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それでも、疑うべきときは疑わないと、ね。

2005/02/14 10:06
「ゆ」さん、コメントありがとうございます。
疑うべきとき・・・確かにそういう場面に直面することはよくあることですね。少しわかりにくかったかもしれませんが、私が言いたかったことは、ゆさんの言葉を借りれば、まさにその「疑うべきとき」にです。
その時というのもいろいろな場面が想定されると思いますが、例えば何かの商品を買うとしましょう。その販売員はいいことばかり言って商品を勧めて来ます。その話を聞きながら心の中では「そんなうまい話はない。おかしいんじゃないか?口車に乗ってはいけないな・・」と思っていたとします。
けれど、目の前に出された商品・・・いいことばかりのその言葉が誘惑するんですね。で、思い切って買ってしまう。*^-^*
結果がよかったときは「あなたを信じてよかった」で終わります。反対のときは「あなたを信じていたのに裏切るなんて!もう、許せない!」ってなるんですね。*^-^* 相手の行為は変わっていないのに結果が違うのは何故でしょう?
自由気ままに
2005/02/14 11:35
つづきです。
>相手の行為は変わっていないのに結果が違うのは何故でしょう?
それは、自分の中で気づいていたのに、自分の中の声(直感)を信じ切れず、誘惑に負けて買った結果であって、相手ではないのです。
また、「疑う」ではなくて「確認」すればよかったことですね。
確認を怠り、直感に目をつぶり、買いたい衝動に動かされ買ってしまった結果なのです。ですので、正確に言えば騙されたのではないのですね。*^-^*
世の中、オレオレ詐欺や振り込め(?)詐欺等々が横行していますが、犯罪を作らないのもひとつの智慧ですね。もちろん、これらは性質が違うかもしれませんが、自分の中心から聞こえてくる声に耳を傾ける習慣をつければ被害も少なくなるのではないでしょうか。
これは、大いに私の体験からくる教訓なのです。自戒自戒です。*^-^*
自由気ままに
2005/02/14 11:41
「自由きままに」さんへ・・・。「信頼」。言葉にすると、難しいものですね*^^* 
目には見えないものですものね。先入観のないうちに、「ぱっ」と出会った瞬間に直感的に感じるものがあると思うので、おそらくそういうのがまずは基本となって人と人との交流がはじまるような気がします。でも、誰でも疑われるのは嫌なことですし、疑っていても楽しくないですものね。
「信頼」の反対は、果たして「疑う」なのかと疑問に思いました。しかも、なぜ「疑問」と「疑う」の言葉の響きが違うのでしょう。「疑う」という言葉は、聞いても使ってもあまり気分がよくないものですね。「疑問」として活用すれば、突き詰めたら「確認」になると思うんですよね。「?」と自問自答するわけで・・・。結局、人に問うのでなく、自分に問うということになるような気がしますね*^^* 「ダウト」。この言葉の意味、使い方正しくしたいな・・・なんて思っちゃいました。
ゆう
2005/02/14 23:22
コメントありがとうございます。また、お返事が遅くなりごめんなさいね。
なるほど。
信じるの意味には信頼するというのもありますが、信じるの反対は疑うですね。
「疑う」の意味には「物事を悪い方に推察する。あやしむ。」というのがありますね。「疑問」は疑い問うことで、真実かどうかまだ疑わしい時などに使いますから、仰るとおり確認ができれば疑いが晴れるとか、何らかの答えが得られるわけですね。客観的です。
この違いから、「疑問」「疑う」の響きの違いがあるのではと思います。
で、私が折に触れ感じるのは、疑う心が気づきや人との信頼関係など、せっかくの機会を失している人って多いのではないかということです。
用心深くて猜疑心に近いもの。これでは円滑な人間関係は築けませんものね。
「ダウト」はトランプ遊びでもありますね。こちらは相手の顔の表情や雰囲気から心理を読んで遊ぶものですから、たわいのないもので大いに遊べばいいと思います。*^-^*
何事も信頼で成り立っている社会であるということですね。*^-^*
自由気ままに
2005/02/17 20:01

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