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zoom RSS 男女平等は人間同士について

<<   作成日時 : 2005/03/02 19:54   >>

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「結婚の次は子供?」について」について
chihoさん、トラックバックコメントありがとうございます。

>「男女平等」は「亭主関白」&「女房関白」ではなく、「人間同士」になることだと思っています・・・。

そうですね。
男女平等の問題は、まずお互いを認め合うところから始まるのは仰るとおりだと思います。
話が少しずれてしまうかもしれませんが・・・
今までは、男と女しかいなかったのに、近代ではその中間の人も出てきましたね。
昔もそういう人はいたのかもしれませんが、きっと社会の風潮がそういう人たちを認めなかったために、鳴りを潜めていたのかもしれません。
あるいは、社会や家族などが知られないように、どこかに閉じ込めてしまったのかもしれません。
そのことは、精神障害、身体障害者といわれる人たちにも同じことが言えると思いますが、
そういう悲しい歴史も一部にあったということだと思います。

そして、男女平等とか人権尊重が問われる中で、
そういう方々も勇気をもって堂々と自己表現できるようになってきたこと、周囲もそれを理解し、受容するようになってきたことは、本当に喜ばしいことですね。
もちろん、すべてがそのとおりにはなっていなくても、時代の流れは解放ですから、順調な流れだと思います。

で、男と女というように二つに分かれているということは、当然その違いや特性があってのことです。
体の作りや、性質など内面においても男と女ではそれぞれの特徴があります。
真の平等とは、それを理解したうえでの男女平等なのですね。
それは昔も個々の家庭内においては、全くなかったということではなく、ごく普通のこととしてあったのだと思います。

さだまさしの「関白宣言」などは、そういう理解の下での優しさや思いやりが感じられて微笑ましく思います。また、「亭主関白」の反対の「かかあ天下」なども、家庭内のことは女性が主体の方が順調であることなどを認めての表現だと思います。
そのどちらの響きの中にも、お互いを認め合う優しさやユーモアを感じます。
全てではないにしても、男尊女卑、男性優位の時代においても健全な男女平等はあったのではないでしょうか。

そうした認識の上で、今後の男女平等については、互いの人格を尊重しての人間愛とでも言いましょうか、一個の人間と人間の関係を育て合っていけたらいいですね。
それは、中間的人間(両性を併せ持っている?)である方も、心身障害者と言われる方々に対しても、全ての人々に隔たりがないことにつながっていくことですね。

平等の解釈を間違えて「一律平等」としてしまった社会は、
それぞれの個性を否定し、頭を抑えてしまった時代でもあると思います。
得意な分野で秀でることよりも何でもこなせるマルチ人間をよしとし、
猫も杓子も大学への「学歴社会」や、偏差値教育の弊害からの「ゆとり教育」への移行。
けれど、マニュアル化された社会構造の中で、教育そのものもマニュアルがなければ行えないという、困った現象。
何がゆとりなのか、ゆとりさえも定義づけされた中での形骸化そのものであったのではないでしょうか。


さあ、これからは「全てを否定しない」社会づくりですね。
それが、新世紀のあり方であると思います。
みんな地球家族の一員です。
あるがままを受け容れ、認め合う社会、自立・自律の中での共存共栄。
人間大好き人間、全員集合!でしょうか。*^-^*
温かいハートを持ち寄って、みんなで手をつなぎ、住み易い、明るい地球を目ざしましょうね。*^-^*

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