心のまま大らかに

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zoom RSS 切れたままにして

<<   作成日時 : 2005/03/06 18:29   >>

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怒り」について
びーらぶさん、こんにちは。
怒りについて、ご自分の中を観る(内観)ことがとってもよくできていますね。
素晴らしいです!お見事です!*^-^*

甘いものを欲しているのは心の渇きが原因で、甘いものが一時の安定剤的存在なのですね。もうそのことも分かっているあなたですね。
それと、自分の中をこうして表に出せるということは、客観的に観られるようになったことの証ですね。「握っていたご自分を手放した」瞬間を文字にしておくことで、何度でも確認することができますし、素晴らしいことだと思います。

ところで、喜怒哀楽に代表される人の心は人間であるがゆえに誰もが持っているものですね。それらは全て外側にあるのではなく、自分の内側にあるものです。
あなたが仰るように、あなたの怒りはあなたへの怒りですね。
あるがままでいい(受容)ということに気づかれたあなたは、
「権威を人に明け渡してしまっていた私」
「私よりも、人の言うことを信じてしまっていた私」
「気付かなかった私」
がいたことも自分に赦すのです。
そういう選択をしたご自分に気づくためのプロセスとしてあったのですから、気づいたということは、もうそれは過去のことです。過去の自分に対しては「ありがとう」でいいのですね。
ですので、それは本来「怒り」にはつながらないことなんですね。*^-^*

でも、まだそういう自分だったことに悔しさを感じたり、嘆くあなたがいて責めるものがあるので怒りにつながったのだと思います。


余談ですが、私は怒りが出たとき「つながった」と感じるのですよ。*^-^*
なぜだか分かります?
もう何年になるでしょうか・・・自分の中に怒りがなくなったのは・・・
これもずいぶんと前の話になるんですが、あれは平成9年2月ごろのことでしたから、もう8年にもなるんですね・・・
その時私は大きな決断をしていたのですが、それを許さない大きな意志の集団があったのです。その中の一人から電話があって、いろいろと言われるんですね。普段は本当に何があっても「笑うしかないね」と悠々自適でしたが、まあ本当に珍しく私の体の中の血が逆流したのです。
はじめの内は黙って聞いていたのですが、最後には「うるさい!黙って聞いていれば勝手なことばかり言ってあなたに何が分かる!分からないのにいい加減にしなさいよ!」で、ガチャン。
まあ、そのときの一言一句は覚えていませんがこんな感じだったのです。*^-^*

電話を切った瞬間私から出た言葉は「ああ、つながっちゃったわ。まだありましたね」でした。
それで、相手に対しても可哀想なことしたなと思ったんですね。*^-^*
それから、その集団とはいろいろあって、結果としてそのトップの意志を受け入れたのです。
それが大きな後悔となることを承知でです・・・
で、この話をすると長くなってしまいますので話を「怒り」に戻しますと、

「つながった」感覚というのは、直感・直観でのことでしたので、正しい答えを引き出したのだと思うのですね。人間の心と脳の関係について見れば、多分正しい(理に適っている)のだと思います。

専門的なことは分かりませんが、感情の伝達経路というのがあって、経路は誰もが持っていることですね。そして感情がある以上、それは電流となってそこに流れているんですが、普段は理性がコントロールしているんだと思います。
で、切れるということは、理性が切れる(ヒューズが切れる)ということです。理性は頭の領域ですから切れることを「頭にきた」というんですね。*^-^*
その瞬間にノーコントロール状態、一種のパニック状態に陥るんですね。何しろ停電のように心が真っ暗なんですから。
そのことは、おそらく誰もが潜在的に知っていて、そういう状態が当たり前のように誰もが経験する状態になったとき、誰言うともなく「切れる」「プッツンする」という言葉が出てきたんですね。
「頭に来た」という表現が、時代とともに「切れる」「プッツンする」という風に変わってきたのは、とても世の中が深刻な状態ともいえます。
面白いですよね。こういう言葉というのは・・・

で、ずっとずっと遡っていくと、「頭に来た」は「怒りを覚える」だったではないでしょうか。つまり、覚える前もあったんですね。
無かった時代から有る時代へ、有ることを覚える時代へ、そしてそれがインプットされ記憶に刻まれたあと、何かの刺激があると経路がつながれ、それが「頭に来る」という(表現の)状態です。

私は幸いにして、あることに気づき、限りなく「無い状態」に近づいたのだと思います。
だから、普段は経路がつながっていないのです。それでカッと来たときに「つながった」というわけですね。この感覚は、そうなった人でないと分からないかもしれませんが、想像はできるのではないでしょうか?*^-^*
だから、もし怒りが爆発して切れたのならば、むしろ切れた状態のままにしていたらいいのだと思います。切れたままというのはずっとパニックが続いているわけではないのですからね。

パニックが納まった後、再び理性に舵取りを預けるのか、それとも「あるがまま」を受け容れるのかの、どちらを選ぶのかの分岐路です。
切れたまま。それは、理性でコントロールする状態ではなく、無い状態へ近づく方法なのです・・・

本当に、本当に、私たちが何気なく使っている言葉は、いろいろなことを教えてくれますね。
因みに、それからも私は「つながる」現象はほとんどと言っていいほどありません。*^-^*
これは、私だけの体験にとどまるのではなく、これからも多くの人が体験し、辿る道だと思います。

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心の渇き
「切れたままにして」について  どうもありがとうございます。色鉛筆のイラストが、なかなか素敵ですね。  「甘いものを欲しがるのは心の渇きが原因」。改めて言われてみると、ここのところが、よく解っていなかった気がします。今は、その「心の渇き」とは、「私が私に置き去りにされること」だった気がします。  私は、ここ数年、「心の勉強」みたいなことをしていました。「心」について、よく知っていると、思い込んでいました。しかし、実際、「事件」が起こってみると、私の中には、「Aさん派」と「Bさん派」はい... ...続きを見る
びーらぶ日記@WebryBlog
2005/03/07 11:57

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