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zoom RSS 「人の気持ちを思いやるということ」について

<<   作成日時 : 2005/03/23 00:05   >>

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人の気持ちを思いやるということ」について
素晴らしい!素晴らしい!
よくぞ、相手の気持ちを思いやってくれましたね。
私は、自分のことのように嬉しいです。
心にじ〜んと沁みます。

こころから、泪のしずくさんへ
拍手喝采!
(゜∇゜ノノ"☆(゜∇゜ノノ"☆(゜∇゜ノノ"☆パチパチパチ!!!です。

超えられないものは、本当に設定してきていませんね。
これが必要だった。この気づきのために、あなたは何度も何度も試練を受けた。
時に挫折しそうな、どうしようもない孤独感とも闘って、ようやく、ようやく、到達した・・・
もう大丈夫ですね。もうご自分を労わることができますね。*^-^*
どうか、この記念すべきよき日を忘れないでください。

斯く言う私も、かつて似たような体験をし、人の心の痛みを感じたことがありました。
こういうことが大きな転機となるんですね。そういう大きな転機を何度となく体験してきました。

それはもっと凄惨な形ででした。
私はあるところで地区のリーダーを任命されました。そして、サブリーダーに大先達に当たる方がついたのです。その頃は組織改革のときで、古いしきたりが壊されようとしていたときです。
選りに選って、なんで私がリーダーで、その先達がサブなのか・・・。改革を推進する私に、改革に抵抗する先達をサブにつけるなんてという思いです。年齢も親子ほどの差があります。
上の意図を感じつつも、それはものすごい課題でした・・・
当時の私は、多発性慢性関節リウマチに罹っていて、歩くことも困難な状況に追い詰められていました。そういう中でリーダーを務めるだけでも大変だったのですが、先達は、自分より遥かに目下の者がリーダーで、自分がその下のサブであることが許せなかったのでしょう。
先達は、治療師としての仕事も持っていて、私は治療に通わせてもらっていたときがありました。

あるとき地区の役員会議をやっていたときに、「久しぶりに治療してあげよう」とみんなの前で治療の準備を始めました。それは有無を言わせない気迫がありました。みな固唾を呑んでいます。
その治療というのは、太い線香状のものに火をつけ、白金のペンシル型の筒(先が十文字に割れている)に入れ、指圧と温熱療法を兼ねたものです。じっと押し付けていれば当然火傷もします。
線香の燃えカスは先の割れたところから落ちてきます。何よりも体にゴリゴリとこすりつけられるとミミズ腫れになるほどで、その痛みは言葉に表せません。
私は、頭の天辺から足の先までガリガリとこすり付けられ、熱さと痛みに歯を食いしばって耐えていました。
周りの者は目を背けるだけで、誰も止めることができません。逆らえば第二の私になるからです。
長い治療が終わって、修羅のような顔になった先達に「ありがとうございました」とお礼を言いました。みんな、言葉を失い帰って行きました。
私の頭はでこぼこで髪が抜けてヒリヒリしていました。体も灰だらけで真っ白になり、そのペンシルでかき回されたあとがくっきりと赤く腫れあがって、自分の体ではない感じがしました。私はただただ痛みに耐えて横たわっていなければなりませんでした。
それでもリーダーですから、翌日からも何事もなかったかのように務めていました。
 
私にはその方の心の中が痛いほど見えたのです。
私はどんなときでも、すべて受け容れることができるようになっていました。
誰もが、好き好んで修羅を演じたくはないでしょう。それでも怒りや憎しみを誰かにぶつけなければその人自身が保てなかったのです。
怒りが納まったあと、後悔するのは私ではなくその方なのです。その方の心の悲しみ、痛み・・・
先達なら事の善し悪しは十分理解できているはずです。それでも修羅を演じざるを得ないその方が、気の毒でなりませんでした。
相手の立場になって、その人の気持ちを察するとき、例えどんな非道といわれるような現象にも、それなりの理由があって、起きていることを理解できるようになっていました。
それは、多くの人を見てもそうでした。因があって縁があり、その結果として報いがあるのは、道理です。真理です。
私には何の葛藤もありませんでした。憎しみも怒りもなく、ただただ慈愛の念しか起きてこなかったのです。

私の体は限界に達していました。それでも頑張って会にも出席し指導に当たっていましたが、いよいよとなってお役から解いていただき、それから2年間というもの一歩も外へ出ることができなくなりました。それでも、「我、仏と共にあり」とはっきりと実感できていましたので心はいつも平安でした。
そして、私は、私の成長のために心を鬼にして修羅を演じてくださった先達に、感謝の念さえ抱くようになりました。本当に有り難いことでした。お互い様とお蔭様の世界が此処彼処に存在しています。

私の人生は、実にユニークです。
今挙げた事例はほんのひとつに過ぎませんが、私は私自身が自由意志・自由選択の元で、自分が書いたシナリオ通りの人生を、演じていることを自覚していますので、それを楽しむ事ができます。

泪のしずくさんもきっと、今日の経験を機に、大きく飛躍していくことと思います。
もう心配はありませんね。第一関門(?)突破を心からお祝いいたしましょうね。
( ^_^)/▼☆▼\(^_^ ) カンパーイ !

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
ありがとうございます。
これからも福祉の仕事をやってゆく上で,とってもすばらしい声援をいただいたような気がします。
 はじめの一歩が踏み出せたようなそんな感じでしょうか。
 希望さんのことばと気持ち身に沁みましたΘ^^Θ

泪のしずく
2005/03/23 03:55
*^-^*
長い長いトンネルをひとつ抜けたという感じですね。
え?「ひとつ抜けた」に???ですか?*^-^*
はい、頂上まではまだまだいくつかあるでしょうね。
トンネルは抜けるまでは暗いですが、人工的なものですからね。
自然は「山あり谷ありでこぼこ道あり」でしょうか。
人工的なトンネルは意識が作り出しているわけですから、この先にいくつあるかも意識次第ですね。
ひとつもないということもあるわけですね。*^-^*
希望
2005/03/23 14:43

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