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zoom RSS 難しいけれど超えられる

<<   作成日時 : 2005/04/14 00:10   >>

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ただしいことはむずかしい?」について
正しいこととは、何を指して仰っているのかですが、それは多くの場合、自分の価値基準においてということになると思います。
何を基準に「正しい」かが問題でもあると思いますが、
思い出すのは、仏教の教えで、八正道というのがあります。間違えないように辞書を引用しますと、
八正道
釈迦の最初の説法において説かれたとされる、修行の基本となる8種の実践徳目。
1.正見
  正しく四諦の道理を見ること (四諦=苦諦・集諦・滅諦・道諦)
2.正思惟
  正しく四諦の道理を思惟すること
3.正語
  真実のある言葉を語ること
4.正業
  清浄な生活をすること
5.正命
  身口意の三業を清浄にして正法に従って生活すること
6.正精進
  涅槃に至る努力を継続すること
7.正念
  邪念を離れ、正しい道を憶念すること
8.正定
  精神を集中し、安定して、迷いのない清浄な境地に入ること。

とあります。これはよく観ると、人に対してどうだというのではなく、あくまでも自分の問題としてあると思います。何が正しいかといえばお釈迦様の説かれた正法、すなわち、仏様から観た価値判断です。人間の価値判断ではないということが大切なところだと思います。
けれど、これとて人に押し付けるものではないと思います。
あくまでも主体は自分。自分を整えることこそ一番なのです。
それは、人を害することがないからです。

ところで、「正しいことはむずかしい?」ですが、
上記のような八正道を実践することは、頭で考えたら確かに難しいでしょう。先ず概念を学んで・・・ということになると、やはり頭(知識)の領域で往ったり来たりです。

それよりも、あるがままを受け容れるところから始めるのが一番分かり易いですよね。
「あるがまま」とは、上記八正道から見れば、四諦の苦集滅道を、「ただ観る」ところから始まります。そしてそれがどういうことなのか、思いを巡らし、ただ感じてみるんですね。
何も善いとか悪いとか、そういう判断もせずにです。そうすると、人にどう見られようが、どう思われようが、一切こだわらなくなりますから、見栄を張る必要もありませんし、嘘偽りなくありのままを語ることができますし、心が曇る要因がありませんから、いつだって清浄でいられるわけです。
これを進めていくと、分離の意識がなくなっていきますから、いつの間にか自分を縛っているものから解放され、超えていることに気づくと思います。

今の時代(意識変革の時代)だからこそ、「行」という意識ではなく、「受容」することで超えることが可能なのです。
ちょっと意識を変えるだけで、ちょっと価値基準を変えるだけで、別次元の世界があることに気づきますよ。
正義感?う〜ん、そういうのももう放棄してしまいましょう。*^-^*
とにかく、人ではなく、自分です。自分がどう生きるか?何を選択するか?だと思います。*^-^*


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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
トラックバックありがとうございます。
自分自身の問題であるということは,みなさんのおっしゃる通りだと思います。意識変革と受容による新しい世界の発見,それには肩の力を抜いて子供のような自由な柔軟な気持ちであるがままの世界を見つめられたらいいのかもしれません。
 ただときどき迷ってしまうのです。やはりいろんな煩悩があるせいでしょうかΘ^^Θ
泪のしずく
2005/04/14 05:50
こんにちは。コメントありがとうございます。
時々迷う・・。では、それも受け容れですね。時々ということは、普段は迷っていない。自分を客観的に見ることもできる。ということでしょうから、迷う周期が段々となが〜くなって、そのうち出てこなくなるということでもあるでしょうね。*^-^*
迷いが生じるのは、何かが起きたときですね。何かが刺激してくれるんですね。そういう時はチャンス到来なんですね。*^-^*
希望
2005/04/14 13:20

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