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zoom RSS 「忘却の河」について

<<   作成日時 : 2007/01/23 15:29   >>

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忘却の河」について
とおこさん、いつも素敵な詩をありがとうございます。いつも、全くその通りだと思って拝見しています。
短い詩で核心を突く感性が素晴らしいですね。*^-^*


ふと、「この道」の歌詞が浮かんできました。*^-^*

この道
  北原白秋作詞
  山田耕筰作曲

この道はいつか来た道
ああ そうだよ
あかしやの花が咲いてる

あの丘はいつか見た丘
ああ そうだよ
ほら 白い時計台だよ

この道はいつか来た道
ああ そうだよ
お母さまと馬車で行ったよ

あの雲もいつか見た雲
ああ そうだよ
山査子(さんざし)の枝も垂(た)れてる


きっと、何かのきっかけ、ヒントに繋がるようなもの(記憶喚起)があったら、記憶は蘇ることがあるのでしょうね。
それは、今生のことも、過去世のことについても・・・

「記憶」について過去に気づいたことがあります。

ひとは、心に深い傷を受けた時、そしてそれを心の奥底に封じ込めた時にどんな現象が起きるか・・・
本当に、その時のショックが大きければ大きいほど、記憶すら消してしまうほどの力を持っているんですね。

きっと、誰でも心に傷を受けたことについて、忘れたい忘れたいと強く思えば思うほど、記憶の中から消し去っているものがあるかもしれません。
その傷が深ければ深いほど、思い出すことさえなくなっていくのも、人間に持たされた能力だと思います。忘却。それは、神様の慈悲の現われかもしれませんね。

そして、それは、思い出さないままで終わる場合もあれば、年月が経って心の傷と向き合える時期が訪れた時に思い出すことがあるかもしれません。


また、仰るとおり、この世に誕生する時に、過去世や今生において何を目的に生まれてきたのかの記憶は全部消して生れて来ていると思います(最近では、記憶したまま生まれてくる子どもも数多くいると聞きますが)。

そうでないと、今生での人生が歩めないですものね。

私の場合、自分の意志で封印している感じです。
というのも、過去世に関して今まで全く関心がなかったからです。
きっと、思い出すこと、知ることで、今生の人生での学びがやりにくい状況になるからだったろうと思います。

過去形にしたのは、少しなんとなく感じるものがあるからですが、過去に捉われないということは、いつの時も大事ですね。
そして、今は過去の総決算の時。新しい時代への移行期のようですから、過去は手放していく方がよいと思います。
いつまでも過去のしがらみがあったら、超えていけませんからね。
体験は、すべて気づくための学習ですから、気づいたならば卒業です。
あとは活かすのみでしょうか。

いずれにしても不要となった過去は、手放す=記憶から消すことでお掃除が出来るものと思います。
第一に、過去世と言っても、すべての過去世を憶えているわけでもなければ、思い出せるわけもありませんね。もし、すべてを思い出せ、忘れてはならないと言うのであれば、今生の人生が成り立たないでしょう。
忘れる機能は、必要あってのこと。
自分にとって、必要なものは記憶に残り、不要となったものは記憶から消えるというのは自然な成り行きなのだと思います。





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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
こんにちは 「忘却の河」の感想ありがとうございます。過去世は わたしの感覚では 本人が意識していないだけで ものの感じ方 考え方の中に 織り込まれて入ってると思います。例えば ダイエットに励んでやせようとしても
不安感が来るたび食べずにいられない人は過去世のどこかで餓死してる。とか
意識にはあがらないのですが 心の底から無意識に滲みだしてくると思います。今の自分は間違いなく過去世の積み上げの自分ですが、今は最先端の体験をしてるのだから今の自分が一番大事だと思います。忘れることは素敵なことだと思います。今を生きるために。
とおこ
2007/01/23 15:48
「ほんとうの癒し」のところで 記憶と病の結びつきについて少し書きましたが、病の原因が 過去生にある場合。 今生の記憶にあがって無くても体の回りのフィールドには必ず記憶されています。 

その場合過去生まで退行催眠をしてでも原因を突き止めることが治療になるみたいです。この場合は思い出す作業にはいるわけです。今生のために。

例えば息の止まるようなひどい喘息に苦しんでいた人が過去生退行したら前生で交通事故で炎上する車の中で息が出来ずに亡くなってその記憶が病の原因だったとか。思い出すことそして退行催眠の中で再び体験することででその記憶から解放されていくみたいです。

充分体験したらその体験を卒業して手放す。忘れることと思い出すことどちらも大事な卒業へのステップなのかもしれません。
とおこ
2007/01/23 17:03
とおこさん、こんにちは。
コメントありがとうございます。

>忘れることと思い出すことどちらも大事な卒業へのステップなのかもしれません。

確かに、その両方とも大事な要素だと思いますね。
氣楽
2007/01/23 18:04
気持ち玉、ありがとうございます。

お陰さまで、4年も前の日記を読み返すことができ、当時を懐かしく
思い出しました。
忘れること、思い出すこと、そのどちらも素晴らしいことですね。
今生における境遇等については、確かに因果応報ではありますが、
過去世の因果というよりも、「望んだ結果」なのだと最近知るようになり、
納得できることが多くなりました。
益々心軽やかになり、お気楽そのもので有り難い限りです。
氣楽
2011/05/09 21:37

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