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<<   作成日時 : 2007/01/25 17:11   >>

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貼られたレッテルは張替えられないのか?
人間がいとも簡単に罠にはまるのが人に対する評価基準ではないだろうか?

このレッテルも、何か高い功績に付けられたものは単純に「いいひと」と受け容れる。
反対に、何か問題になった組織の会員だったということだけで、それが知れればその人がそこでどういうことをしていたかなどに関係なく、「悪いひと」「悪い仲間」と受け止めがちである。

だから、一般的に後者の場合は人に知られないように口を噤む。
けれど、知名人ともなれば隠しようもなく、本人の意思に関係なく、履歴・プロフィールに掲載されてしまう。おそらく、当人は一切気にせず、堂々と生きていらっしゃるのだろうが、それを読んだ人は試されるというか、自分というものを発見するかもしれない。
チャンス到来ということだ。

画像最近、ある方について問い合わせがあった。
その方は知名度の高い人で時代の先端を行くような人であったが、私自身はそのグループに関心がなくてご縁はないのだが、その人について調べたら、「元○○会の会員」だったという。
間接的に、私の知り合いとつながっていたので、「そのことを知っているのか?」という問い合わせだった。
ということは、暗に私の知り合いについて問題ありと言っているのと同じである。*^-^*
ネットで調べてみると、確かにたった一箇所に小さく「元○○会の会員」と記してあった。
しかし、私はそれを見てもピンと来なかった。・・・・・

何故なら、「過去」でその人を評価するということは、参考にはなっても「今」のその人を見ていないことになるからだ。過去だけで判断するということは、偏見ともとれる。
第一、そのレッテルだけでは、どういう理由で会員になり、どういう活動をし、どういう理由で会を離れたのか、全く理解できないし判断できる材料にはならないと思う。

今、名の通った製菓会社が賞味期限の切れた原料を使って問題を起こしている。
これ一つ見ても、過去の業績がどんなによくても「信頼おける有名な会社」というレッテルは通用しないということがわかる。
過去がどんなによくても、今は「×」。
逆に、過去に問題があっても(勿論、それが問題とは限らないのだが)、その体験を生かして社会のために業績を積み上げて活動している人の今は「○」ではないのか。
そしてどちらの場合の「今」も、過程であってそこで終止符ではない。
判断基準があるとすれば、「今」を見て、未来に何があるかである。

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過去に捉われてばかりいると、この二元性から解かれることは難しい。
記事冒頭に、「貼られたレッテルは張替えられないのか?」と問うたが、実際には偏見を生むようなレッテルなど不要ということだ。レッテルに惑わされてはいけないということである。

まあ、善い悪いはないのだから、そのことに気づいたら偏見を手放して、「今」何を感じるのか、自分の感性を信頼すればよい。善悪を超えたところに真の真実が見えてくる。

それは、問われた私がどういう返事をするかも問われていることである。
もし、私が、そのレッテルを見て「へー、知りませんでした。そういう経歴があったということは問題ですね」などと言ったら、落とし穴にストーンと落ちたも同然である。*^-^*

その人がどういう人なのか?知りたければ直接感じてみることではないだろうか?*^-^*

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