心のまま大らかに

アクセスカウンタ

zoom RSS おまじないの言葉

<<   作成日時 : 2007/08/10 21:52   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 1 / コメント 7

画像

数日前に、あるサイトの「風の言葉」が更新されていた。読んでいて「あ、これって私のことだ・・・」と即分かった。*^-^*

このサイトは、私の「お気に入り」で否定がまったくないのが素晴らしい。語り口もとても柔らかでユーモアもあってなかなかいい感じなのだ。
http://www.ne.jp/asahi/omaneki/2000/windsmessage.htm

そこには
≪病気は「病む」気、それとも「止む」気?≫というタイトルで要約すると
 
名は体(たい)を表す、っていう言葉があるように、言霊(ことだま)が、その本質を表している言葉や文字が結構ある。「病気」もその一つ。

昔の人は、「気を病む」と考えた。「病いは、気から」と。
でも、本当は、もう一つ意味があった……。
「気(オーラ)」が、「止む」。気が滞って流れない状態である。

と書いてあった。
( ̄~ ̄;) ウーン、確かに確かにその通りと頷きながら読み進む。

だから、止む=止まっている気を流せばよいということになる。
ところがそこでお仕舞いではどこにでもある話だ。ここでは、

でも、宇宙は、いつも深遠だから。
 「止む」には、さらに奥があったのだよ。
 
 それはね、「止む」は、「止(と)める」こと。掴(つか)んで放さない「執着」の状態。
 人が、無意識に「掴んでいる」時、病気はちっとも良くならなかったりする。
 個人差かあるのは、そのせい。

 でも、そこに「病気」の深い意味が隠れていたりする。
 本人が「気づかなければならない何か」を教えてくれていたりする。
 だから、ある人は、いつまでたっても「痛み」が取れなかったり、発病している部位や症状を変えて、何度でも現れたりするんだ。
 
 だけどね……、そのことも、「自立」に向けての「一歩」なんじゃないかな。
 最近、そう思うんだ……。


と締め括っていた。・・・・・・・・
そうなの。私はこの辺でうろちょろしているようでいつももどかしい思いをしている。答えが出そうでいていまひとつ確固たる「これだー!」が出てこない。
喉元まで出掛かっているのに出てこないもどかしさ・・・

昨年、はじめて神人さんにお会いした時、
「体は入れ物。自分がなければこのように体は自在に動くんですよ。一度しかやらないからよく見ておいてくださいよ」と言って実演して見せてくださった。
そのことは、いつも頭の片隅にあった。


それがここ数日前述のサイトの

宇宙は、いつも深遠だから。
「止む」には、さらに奥があったのだよ。
 
それはね、「止む」は、「止(と)める」こと。掴(つか)んで放さない「執着」の状態。
人が、無意識に「掴んでいる」時、病気はちっとも良くならなかったりする。
個人差かあるのは、そのせい。



と重なった。・・・・・・

ははあ・・・なるほどねえ・・・分かりかけているのに明確にこれだというものが出てこないもどかしさはこれだったかと・・・

それで昨日は試しに自分におまじないの言葉をかけてみた。
痛みに対し、「大丈夫、大丈夫、大丈夫、大丈夫、・・・・・」と。

するとどうだろう。体から余計な力が抜けてあれほど痛くて硬直していた筋肉が柔らかくなって、右腕が上がるではないか!!
まるで、マジックショーで体を宙に浮かばせるように、静かに腕が上がっていく。
壁にあるスイッチが押せる。灯かりが消える。電話のボタンが押せる。テーブルのペットボトルを手にすることが出来る。・・・・

その要領、その感覚を体が覚えていく・・・
これだよ、これだよねと、掴みかけている答えが出てこないもどかしさがなんだったか分かりかけてきた。

今日は、何ヶ月ぶりだろうか?半年?いや、それ以上か。
左手にフォークを持ってご飯を口に運んだ。
もう肩が痛くて痛くて全く使えなくなってしまった左手が、なんとか動いてくれたのだ
両肩関節は病気で破壊され、骨と骨がこすれギシギシ音がする。鎖骨の位置がズレ息苦しい時もある。
けれど、今日も「大丈夫、大丈夫、大丈夫、大丈夫、・・・・・」と自分に言い聞かせて力を抜く。
肩関節が少しずつ開く。ぎこちないが口に食べ物が運ばれていく・・・

まあ、そうはいっても一気にすべてが解消したわけではないが。*^-^*

無意識に「掴んでいる」時、病気はちっとも良くならなかったりする。 

の答えがひとつ見つかったのだ。\(^o^)/

それは何か?
「痛みを掴んでいた。「痛み」から意識が離れない状態。言い換えれば「痛み」に執着していたということか。

「だって、痛いんだもの。そんなに簡単に動かせないよ」と心の中で呟いていた。
寝返りを打つにも、何をするにしても唸りながら「痛い痛い」と悲鳴をあげていた。いきなり薬も絶ってしまったのだから、その付けも大きかったが、できるだけ痛みを発しないように細心の注意を払う。それがいつしか「痛み」への恐怖心となって体を守ろうと意識は「痛み」に集中していった。・・・

無意識に掴むものとはこれだったかと・・・
このことは以前から知っていたことなのに、何時しか虜になっていたかと今更ながら思う。

余分な力が入っていては不自由になるのは何にでも言えること。
これも、人にいくら言われても自分が体験を通して腑に落とさなければ分かったことにはならない。
時間がかかっても、自分の内側にある答えを尋ねていくしかない。
この「大丈夫」という言葉は、子供のときからずっと使っていた。恐れを知らないというか、どんな困難があっても大丈夫、きっと上手くいくと信念を持って歩んできた私の口癖でもある。

幸運にも、何事も否定せずただ事実だけを伝えてくれるよきアドバイザーに恵まれた私は、素直に聞く事ができていたと思う。
大きな学びをさせていただき、感謝の思いに満たされていく。

「大丈夫」というおまじないの言葉の効果は絶大である。みなさまも是非お試しくださいませね。*^-^*




テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(1件)

タイトル (本文) ブログ名/日時
「おまじないの言葉」について
「おまじないの言葉」について 「大丈夫」というおまじないの言葉の効果は絶大である。と、締めくくったもののコメントにも書いたようにそんなに簡単なものではない。単なる気休めとまでは言わないが、それで解決するならとっくの昔に治っているはずである。 ...続きを見る
自由気ままに
2007/08/27 21:44

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(7件)

内 容 ニックネーム/日時
お元気ですか?そうですね。おまじないは決して単なるまやかしではなく、れっきとして心というか、脳にいい影響を与えているのですね。
ののはな
2007/08/12 02:14
ののはなさん、こんにちは♪

元の気はあるんですが、体がついていかない部分もあってボチボチというところでしょうか。*^-^*

何にも言えることだと思いますが、障碍になる要素として不安とか恐怖があると思います。これがなければひとは自分の思うとおりの人生を歩めますよね。
ひとにどう思われようが良いわけで・・

体についても痛みに対する恐怖心が出てくると、体を動かす前に防御しようと緊張するんですよね。緊張した体を無理に動かそうとすれば悪化につながりますし、それを避けるために動かさなければ強直してしまいますしでなかなかコントロールが難しいです。

痛みは「動くな」のシグナルでもありますが、痛みに執着すると甘えにつながるかもしれません。
とりあえず、恐怖を取り除くためのおまじない。細胞が緊張しないように安心させてあげる効果はあるようですね。

あー、それにしてもなかなかの難問です。合格点に達していないのでしょうね。*^-^*
氣楽
2007/08/12 12:15
気楽さん、本当にお久しぶりです。
少しでも、身体が動くようになったって、とっても嬉しいです。

> それはね、「止む」は、「止(と)める」こと。掴(つか)んで放さない「執> 着の状態。
> 人が、無意識に「掴んでいる」時、病気はちっとも良くならなかったりする。
> 個人差かあるのは、そのせい。

恋愛・お金・仕事・・・・。病気にも執着があるのでしょうか。
なんとなく執着しているものが見えていても、手放しきれないものがあったりで、『執着といっても、手放そうでは手放せないんだ』といった友人の言葉が、今朝、浮かんでいました。少しずつ、手放し、手放しを繰り返し、いつか、本当に手放せるのかも知れないな・・・と感じています。
真子
2007/08/16 11:36
真子さん、こんにちは♪

>少しでも、身体が動くようになったって、とっても嬉しいです。

アハ、言葉の効果は絶大であると言ったもののこれがなかなかでして・・・(x_x;)
おまじないはおまじないに過ぎないかも?
痛みに対する恐怖というのはひとつの防御システムだと思います。たとえば注射をされるとき、まだ針が刺さっていなくても刺される痛みとかを既に分かっていて細胞が拒絶するような感じでしょうか。
関節の痛みは、動かす前からこれをこうやったらこうなるという風に体は知っているんですよね。だから無意識にも恐れ硬直することもあるわけね。
氣楽
2007/08/16 12:16
でも、それだけが
> それはね、「止む」は、「止(と)める」こと。掴(つか)んで放さない「執> 着の状態。

ではない気がしています。
多分ね、見えないプレッシャーに弱いのかも・・と思ったりしています。傍は何とでも言えるわけで、黙ってみていることができないひとっているものなのですね。(^_^;)
そういうことがなければ、楽に過ごせていると思うけど、ひとが正論と信じて押し付けてくるものとか、ひとの期待とかに掴まれてしまうと窮屈になってくるんですよね・・・
思えば、これも何度か繰り返しているかも・・・
なかなか手強いですね。要は想念の問題なのでしょうね。*^-^*
氣楽
2007/08/16 12:16
お久し振りです^^ 
良かったですねー!うれしい限りです(^-^)v

素敵な記事をありがとうございます。
感ずるところ、思うところが多々ありました。
まったく以って、、、いや〜手強いですね〜「(´◇`;)

それから〜。。。先ほど御神示を読みながら涙を頂き、
また一つ、歳を重ねることができました。
感謝感謝、うれしうれしの毎日で〜す☆
これからも、どうかいろいろお教えくださいませ〜♪m(__)m
桜子
2007/08/19 01:03
桜子さん
ハッピーバースデー♪
花束♪(⌒ー⌒)o∠★:゚*'  おめでとぉ♪

お久しぶりですが、桜子さんも順調に復調されているご様子、何よりですね。

>まったく以って、、、いや〜手強いですね〜「(´◇`;)

本当ですねぇ。これには続編があっていまも進行形かな。
いろいろ気づきがあったり、思わぬところで涙が噴き出たり・・・
余り辛抱強いのも善し悪しで、どこかでバランスを欠いているんですね。
痛みに対する恐怖に掴まれていたというより、もっと深いところに原因があったことにも気づかされました。
これも、BLのおかげ(引き出す力として)と感じています。*^-^*

>先ほど御神示を読みながら涙を頂き、

素晴らしい!!(^O^)v
涙も浄化ですから、益々心身共に軽やかになっていきますね。*^-^*
うれしたのしですね。*^-^*
いつもありがとうございます♪<(_ _)>


氣楽
2007/08/19 10:28

コメントする help

ニックネーム
URL(任意)
本 文
おまじないの言葉 心のまま大らかに/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる