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zoom RSS ベランダからの訪問者・・・

<<   作成日時 : 2007/10/28 19:11   >>

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昨日は台風の影響で一日雨が降り続く。早朝にヘルパーさんの訪問があったが、体が動かずベッドから出られず玄関の鍵も開けられなかった。
これがそもそもの発端であったのだが・・・

寒くなってきて体が動くまでに時間がかかるようになっているのはみな知っていること。
なかなか起きられなくて玄関の鍵開けが間に合わず、ヘルパーさんを待たせてしまうこともある。日々の体調に合わせて介助スケジュールが決められるわけではないので、どんなに調子が悪くてもこちらが合わせるしかない。どうにも動けない時はキャンセルするか最小限のことを頼んで早めに帰っていただくこともある。
今回は事前にキャンセルできず、電話にも出られず心配をかけてしまったのは事実。申し訳ないという思いはあったが、状況は分かっているのだから察してくれればいいなと思った。

昼頃ようやく起きて、メールチェックをしたり軽く食事をしたが、3時過ぎにはベッドに戻った。
間が悪いというか、その後電話が鳴ったりパソコンにメールが入った。
当然、そのどちらも取れない。

夕方玄関のチャイムがなったが直ぐには出られないのでそのままにした。
すると、しばらくしてベランダの方で声がする。お隣の奥さんの声とNさんの声。Nさんは隣の家に入れてもらいベランダを越えて部屋に入ろうとしている。

なに?なに?そんなの有りー?やめて欲しいよね。と思いつつ体を起こす。
隣の居間のガラス戸が開き人が入ってくる。名前を呼びながら寝室へ姿を現わしたNさん。
言葉が出ない。プライバシーも何もない。誰の許可もなく勝手に家に入ってくるなんてやり過ぎよと言いたいところだが「そこまでしなくていいのに」「こんな雨の中、ベランダで足を滑らして落下したらどうするの?誰も責任もてないのよ」というのが精一杯。
電話が何度も何度も鳴っている・・・
とりあえず車椅子に乗り移り部屋を移動する。
Nさんは緊急連絡先になっている姉のところへまで電話を入れていた。お隣さんもベランダ越しに「大丈夫ですか?」と大きな声を出している。
とにかくお隣に脱いできた靴を取りに行くよう言ったが、待てど暮らせど帰ってこない。状況を話しているのだろうが、何をどのように話しているのか・・・

ようやく戻ってきたNさんの手には、お隣さんの電話番号のメモが握られていた。何か役に立てればとお隣さんが書いてくれたという。
姉に電話してちょっと具合が悪かったから寝ていただけで大騒ぎするようなことではないからと謝った。
お隣さんにも電話して、迷惑をかけ更に心配をおかけしたことをお詫びした。

奇しくも、テレビで「責任」をテーマにタケシの特別番組があり、その前宣伝が始まっていた。

Nさんは、私が倒れているかもしれないと、それしか頭になかったというが・・・
そんなこと状況からしても有り得ないし、私を知る人なら先ず具合が悪く寝ていると思うはずである。元々具合の悪い時は何もせず体を休めるのが一番と言っていたのだから。
私を思ってくれる優しい気持ちは有り難いが、大騒ぎする前にもう少し冷静に考え様子をみるゆとりを持って欲しかったね。
とはいえ、事の発端は冒頭のとおり私だから何も言えないが、空騒ぎして周囲に心配をかけたくなかった。ゆっくり静かに休ませて欲しかった。
結局、お茶でも飲んで行ったら?ということになって、お茶を飲みながらしばらく雑談。
テレビ番組の話もチラッと出して「責任」について話した。

Nさんは私がひとり生活だからというが、仮に何日も連絡が取れなかった時は姉に連絡するのも、無断で部屋に入られても善しとしよう。
しかし、もし万が一にも私に何かあって間に合わなかったとしても、それは決して誰のせいでもない。ケアマネージャーだからといって責任を感じる必要もない。
死に方も死ぬ時期も私自身が設定しすべて納得の上なのだから。勿論、その日がいつか?などということは私にだって分からないが、その日が来るまではどんな状況であっても一生懸命に生きていくだけである。何故なら生かされているのだから。
上手く伝わったかどうか言葉足らずであったから分からないが、二度とこんな形で騒いで欲しくないと思った。

今日になって気づいたのだが、ベランダの入り口からカーペットが足型のドロ汚れでいくつも染み付いていた。
思わず「これって、家宅侵入だよね・・・」と不快な思いが上がって来た。

責任ってなんだろう?
無責任体質蔓延の世の中だけど、何に責任を感じ責任を果たそうとするのか?そこに大いなる勘違いがあっては責任どころではないのでは?・・・

今回も、いろいろ学ばせてくれて感謝である。
最近、相手を思いやって「NO」が言えなくなっていたが、言わなければ伝わらないことばかりだから、お互いのために言えるようにならなくてはとあらためて思う。

全てに感謝です。(^人^)感謝♪

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生かたは逝きかた
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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
う〜ん、相手をよく理解するということを考えると、難しくなってしまますね。
思いも人それぞれですからね。

でも、起きていることが必然だとすると、すべてはお勉強のためですね。
お氣持ち、十分にお察し申し上げます。

いつもありがとうございます。<(_ _)>
有我
2007/10/29 13:01
有我さん

>起きていることが必然だとすると、すべてはお勉強のためですね。

はい、そうなんです。*^-^*
では何を見せていただいているのか?そこが問題ですね。
相手の問題ではなく、自分の中に何を見るか?
出来事は、気づきのきっかけにしか過ぎないのですね。

すべては善意から出ていることですが、過去において自分が善意から発したものでも、人様に迷惑をかけたり、知らず知らずのうちに傷つけてしまったことがどれだけあっただろうか。善意なら全て善しとして押し付けるのも傲慢につながりますしね。

私たちは、そうやって過去に我善しで勘違いをどれだけしてきただろうか?という気づきを今回のことで学ばせていただいたのです。
反省反省です。(~_~;)
善意だと分かっているから何も言えなくなる。でも、そこで留めてしまえば本質が見えなくなるのも事実だと思います。情を絡ませば何も言えなくなる。善い悪いで判断すれば見えなくなりますね。

理解と信頼。とても大事だなと再確認です。*^-^*
いつもありがとうございます。<(_ _)>
気楽
2007/10/29 22:44

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