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zoom RSS 逝くということ

<<   作成日時 : 2008/01/17 12:53   >>

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年が明けて6日ごろ、亡夫の長兄から電話をいただいた。
年始の挨拶もそこそこ、「Y子さんの方が早く逝くと思ってたけど、僕のほうが先かもしれないよ」と言う。容態を聞くとほんとうに大変そうなのが伝わってくる。
義兄さんは、私よりも20も年上。その義兄が私のほうが先に逝くと思っていたのだから、昨年の私の状態もかなりのものだったと改めて思う。*^-^*

長患いをしていると誰でも弱気になるときがある。
今までも容態が悪くなると電話をしてきていろいろ話をする。
私はそれを聞きながら、少しでも楽に過ごせるよう自分の体験を通して励ます。
一見気難しく口うるさく気丈な人だったが、病気に関しては神経質で不安を抱えていたのだろうと思う。長患いでは私のほうが先輩なので話し易いこともあったのか、時々電話をしてきた。
いつだったか『いいねえ、Y子さんのその玉がころがるような笑い声聞いていると、こっちまで元気になるよ』と言ってくださったことがある。

義兄さんにしてみれば、私を哀れに、不憫に思ってくれていたのだろうが、私と話していると私のことなど忘れて自分の大変さばかりを聞いて欲しかったのだろうと思う。
そして、いくらかでもほっとするものを感じてくれていたようだ。

画像12日、義姉からの電話で息を引き取ったことを知らされる。
入院は絶対したくない義兄であったから、亡夫同様自宅で愛妻に看取ってもらえたのはとても幸せなことであったに違いない。
知らせを受けても、どうすこともできない私は「無理しないでいいから」の言葉に甘えるしかない。
幸いというか、その日は友が来る日だったので取るも取り敢えずお香典を送ることができた。
香典袋も現金封筒もすべて友に代筆してもらった。すごいね、こんな時にも傍に友がいてくれて、何でも頼め、何でもしてくれるのって。(^人^)感謝。

容態は急変したということでなく、ごく自然な流れだったと思う。
明け方は珍しく夫婦で話したという。
生きたい思いは事切れる寸前まであるのだろうか・・・
魂レベルではすべて分かっていて静かに受け容れているのではないかと思う。
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私は、訃報を聞いても「長い間、お疲れ様でした<(_ _)>」の思いしか出てこなかった。
義兄さんと私の中では、分かり合えている感じがしているから涙は要らない。
今までお世話になったことなどがいろいろ思い出され、感謝と冥福を祈る気持ちだけだった。
老いと共に、病状も進み体力も消耗し、食欲も消えて枯れて逝ったのだろう・・・
たとえ、生に対し未練、執着があったとしても、すべて義兄さんが決めて逝ったのだから何も言うことなしである。
ありがとうとお疲れ様と次のステップへ上がられたことに安堵をもって愛を送りたい。


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